をりふしに瞳をあげて

季節の折々の写真に、好きな詩歌を時折添えて。 また、興味のある伝統工芸や日本建築について掲載していきます

青蓮華の夏灯り 

 京都東山の青蓮院ではご本尊の熾盛光如来(しじょうこうにょらい)にちなみ青い光のライトアップ「青蓮華の夏灯り」(しょうれんはなのなつあかり)が行われています。

 

 「ご本尊の熾盛光如来は、光そのものであり、その化身の不動明王(国宝青不動明王を祀る)も炎の光を背負っておられ、当院は光との関係が大変深いのです」

・・・青蓮院HPから

(訪問 2026年8月21日)

 

門前の楠 

書院の襖絵

 

 

蓮の花の造花をしつらえた華の夏灯り

 

 

 蓮の花の造形が素晴らしく、また青い光のゆっくりした変化が落ち着きを与え、心が安らぐひと時でした。

 

参考 2025年10月6日のブログ「青蓮院門跡の楠」

京都東山の夜 ~東山観月路~ 

 京都東山一帯で2002年から毎年3月に開かれていた京都東山花灯路は2021年に終了しましたが、それ以降は規模の小さなライトアップが続いています。

今年は東山観月路が高台寺で行われました。

(訪問 2026年8月21日)

 

東山観月路

雲間から月が顔をだしました。

 

参考

・3月に行われていた東山花灯路については 来年の3月ごろにまとめて掲載しようと思います。

・同時に12月に行われていた嵐山花灯路については2025年12月18日掲載の「嵐山花灯路」を参照ください。

なら燈花会 灯りがゆらめく夏の夜

 なら燈花会(とうかえ)は奈良公園で行われている灯りの催しです。

ろうそくの光のゆらめきがほんのりと周りを照らし出します。

 燈花:ろうそくの芯の先にできる花のような形のことです。
   これができると縁起がよいとされています。

   (1999年から開催 2026は8/5-8/14)

  (訪問 2026年8月14日 写真は2023年 2019年 2012年を含む)

 

浮雲園地 一客一灯

 

 

東大寺鏡池

 

浅茅が原


奈良国立博物館前

 

浮見堂



猿沢の池

 

興福寺五重塔(室町=6度目の再建 国宝 高さ51m)は現在解体修理中です。 

・・2023年7月~2034年3月まで素屋根で覆われていて見れません。

(写真は2012年8月のなら燈花会)

 

 

琵琶湖を船で渡る 今津~竹生島~長浜

夏の暑い日 琵琶湖にある竹生島を訪ねました。

(訪問 2018年8月8日)

JR湖西線近江今津駅徒歩5分の今津港から船で竹生島を訪ね、さらに対岸の長浜までのちいさな船旅です。

今津港 10時45分 (竹生島まで25分)

 

竹生島

新緑の毬とうかべり竹生島 

・・白水 (中村ちょ女選)

 


竹生島上陸 11時10分 (滞在70分)

 

竹生島弁財天

竹生島弁才天(宝厳寺)の本堂(昭和17年再建) 

・・聖武天皇の勅命を受けた僧行基が開山(724年)

 

三重塔(平成 再建)

 

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ/竹生島神社 桃山時代 国宝)

 ・・豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の日暮御殿(勅使殿)を移転したもの

 

都久夫須麻神社竜神拝所

 

舟廊下 (江戸 重文)宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿をつなぐ 全長30m

 

 

瑠璃の花園 珊瑚の宮

古い伝えの 竹生島

仏のみ手に いだかれて

眠れ乙女子 安らけく

・・琵琶湖周航の歌 4番

作詞 小口太郎 作曲 吉田千秋

 

竹生島出航 12時20分 (長浜まで30分)

 

伊吹山

 

長浜着 12時50分

このあと西風が強くなり後の便は欠航となりました。

 

長浜城

 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天正3年(1574)秋頃築城、滅亡後取り壊わされた長浜城跡に昭和58年(1983)再建の模擬天守

長浜城天守から 彦根城が見える 13時15分

 

 観光案内所で尋ねて駅周辺を散策しました。

長浜鉄道スクエア 14時30分

・・旧長浜駅舎 1882(明治15)年 現存する駅舎としては日本最古のもの

 

長浜慶雲館 14時50分 

・・長浜の豪商・浅見又蔵氏が明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した長浜の迎賓館

 

旧開知学校 15時50分

・・明治7年(1874)に町民の寄付によって建てられた、現在の長浜小学校の前身となる洋風の木造校舎の建物

 

成田美術館 15時10分

・・近代ガラス工芸(アール・ヌーヴォー アール・デコ)のルネ・ラリックの作品を収蔵・展示する美術館 

 

ルネ・ラリック(1860 - 1945)の美術館は 他に

 箱根仙石原 箱根ラリック美術館  

 長野諏訪湖畔 北澤美術館

などがあります。

 

東北の夏 秋田竿燈 弘前ねぷた

連日の猛暑で外出はしばらくお休み。

そこで昔の写真を少しずつ整理しています。

・・季節に合った題材を載せていきます。

 

東北の夏の祭 秋田竿燈まつり 弘前ねぷたまつりを訪ねました。

(訪問 1978年8月5-6日) 

 写真はスライド=ポジフィルムからの複写

(三脚無しで手振れも多い=手振れ防止機能はまだありません)

 

秋田

千秋公園

秋田竿燈まつり

 竿燈まつりは、真夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として宝暦年間にはその原型となるものが出来ていたといいます。

          


弘前

弘前城(現存12天守の一つ)        最勝院五重塔(江戸 重文)

1611年築城の五層五階の天守は火事で焼失 1810年三層三階で再建

 

弘前ねぷた祭 

 起源:睡魔払いの行事から発展した青森ねぶたと同系統の祭り。

 呼び名:方言・表記の違いで「ねぶた」「ねぷた」に分かれた

元は「眠たい」を意味する方言「ねぶたい/ねむたい」などから来たとされる説が有力

 青森のねぶたはラッセラーラッセラーの勇ましい掛け声、人形型の山車。

対して 弘前のねぷたはヤーヤドーとちょっと物悲しく聞こえます、扇型の山車。

 昔は坂上田村麻呂の出陣=弘前ねぷた 凱旋=青森ねぶた のように聞いた覚えがありますが 今は検索しても見つかりません。

 

       

      扇の表は武者姿 裏は美人画


 

十和田湖

 

美濃(岐阜)の塔を訪ねて +岐阜城

塔を訪ねて 旧美濃国、岐阜市周辺を散策しました。

(訪問 2022年7月26日 27日)

 

日龍峰寺(にちりゅうぶじ 高澤観音 関市)

仁王門(江戸)高澤観音口バス停から徒歩45分、ここからさらに三百段の階段が続きます。

 

 鎌倉尼将軍北条政子寄進の懸崖づくりの本堂は応仁の乱により焼失。寛文十年(江戸時代)の再建

 

日龍峰寺多宝塔(鎌倉 重文)鎌倉尼将軍北条政子建立になる唯一の建造物

日龍峯寺に池あり法華経を書写し供養して彼の池に入れば多雨たちまち降りなん


新長谷寺(しんちょうこくじ 吉田観音 きったかんのん 関市)

美濃の法隆寺とも呼ばれるほどの文化財の宝庫

本堂、鎮守堂、薬師堂、三重塔、大師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、客殿は国の重要文化財

ただ 境内撮影を禁じておりちょっと残念なお寺

総門

新長谷寺三重塔(室町 重文)門外から撮影


岐阜公園(岐阜市)

岐阜公園三重塔(大正 大正天皇即位記念)


岐阜城(岐阜市)

かつて稲葉山城と称し、戦国時代斎藤道三公の居城でもあったところ。

永禄10年(1567年)(一説に永禄7年)8月、織田信長公がこの城を攻略し、地名も「井口(いのくち)」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地とした。

長良川を眼下に。当日は曇り 湿度が高く山上は煙る。

 

大垣

日吉神社(大垣市)

弘仁8年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた際、 、日吉神社として創建しました。

 

日吉神社三重塔(室町 重文)

 

真禅院(不破郡垂井町)

行基菩薩により創建(約1300年前)宮処寺(ぐうしょじ)

⇒南宮神社と宮処寺が両部習合して象背山神宮寺

⇒神仏分離令がだされ神社と寺院を分離

⇒南宮神社(現南宮大社)境内の神宮寺堂塔撤去し移転

真禅院三重塔(江戸 重文)

 

南宮大社 (なんぐうたいしゃ 美濃国一之宮)

鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)を主祭神として祀る。
関ヶ原の戦いで焼失。家光により再建。

拝殿およびその奥の本殿など7棟の重文 手前は高舞殿 

・・この時には参拝のできなかった横蔵寺の三重塔は後日ブログに上げたいと思います

 

蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行秋ぞ

・・芭蕉 奥の細道

大垣は 奥の細道のむすびの地です

大垣から伊勢参宮のために船出する場面の句で締められています。

芭蕉は、2週間ほど大垣の人々と交流してすごしたあと、水門川(すいもんがわ)を舟でくだり桑名へ旅立ちました。

 

 岐阜市に一泊した26日の夜はサラマンカホールで 諏訪内晶子ヴァイオリンリサイタルを聴きました。 モーツァルト ベートーヴェン  ヴァイオリンソナタなど。

スペインのサラマンカ(Salamanca)市のパイプオルガンを修理したことからつながる縁で1994年に開場。

伊勢神宮式年遷宮 御木曳行事 ~川曳~

 伊勢神宮の二十年に一度の式年遷宮、次回第六十三回は令和十五年(2033)に行われます。その準備が令和七年から始まっています。

今年と来年は木曽の山中から運ばれた御用材を曳き入れるお木曳行事が行われます。

今回 五十鈴川を辿って内宮へ運び入れる川曳(かわびき)を見に行きました。

(訪問 2026年7月25日)

 

見学に先立って 外宮、内宮に参拝しました。

豊受大神宮(外宮 豊受大御神 とようけのおおみかみ)  

正宮(しょうぐう)

 

外宮外観

 

東側に広がる場所が今度の遷宮地です。

 

垣間見える現在の本殿の屋根

 高さ約12m=およそ三階建て

 境内にある「せんぐう館」には遷宮にまつわる説明と実物大の模型が展示されておりその大きさを実感することができます。

 

別宮

風宮

作りは小さいですが 本殿と同じ神明造り(しんめいづくり)です

妻側にある棟持ち柱で屋根を支えます。 参拝入り口は平入。

手前が今度の遷宮の地。

 

皇大神宮(こうたいじんぐう 内宮 天照大御神 あまてらすおみかみ)

五十鈴川御手洗場で心身を清めます

 

正宮(しょうぐう)

 

別宮 

荒祭宮(あらまつりのみや)

 

川曳

五十鈴川を約2㎞遡ります。

出発地点

 

宇治橋下流で陸揚げします。

 

神社へ引き渡されます。

 

宇治橋

 

式年遷宮では

・社殿造営 

 内宮外宮はもちろん別宮(14所)摂社(109所)宇治橋も新調されます。

 (使用されていた旧の用材は全国の神社で再利用)

・御装束神宝の調整

 すべて新調されます。

・遷御の儀

 令和15年に行われる神様の遷座する行事です。

 

たふとさにみな押しあひぬ御遷宮

・・・芭蕉 元禄2年(1689年)9月13日の外宮の遷宮を見て。

 

せんぐう館(外宮にある遷宮行事の展示館)

・木曽の山中でお柱の切り出しは 古式にのっとり斧を用いて行われます。

 三方から斧を入れ 中を貫通させ 最後に残した三辺のうち一辺に斧入れると二辺の方向へ倒れていきます。

・必要な用材は約一万一千本

 神宮の南域の山 御杣山(みそまやま)で200年後を見据えた植林を行なっています

 現時点での供給は約2割 他は木曽山中から調達。

 

斎宮 

伊勢街道の伊勢の手前およそ20km西に斎王の宮がありました。

その史跡が整備され 近鉄電車の車窓から見ることができます

斎宮跡

大津皇子の竊(ひそ)かに伊勢の神宮に下りて上り来ましし時に、大伯皇女の作りませる御歌二首

 わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露にわが立ち濡れし

  ・・・万葉集 巻二 一〇五

 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り越ゆらむ

  ・・・万葉集 巻二 一〇六

 

大津皇子の薨りましし後に、大来皇女の伊勢の斎宮より京に上りし時に作りませる御歌二首

 神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに

  ・・・万葉集 巻二 一六三

 見まく欲りあがする君もあらなくになにしか来けむ馬疲るるに

  ・・・万葉集 巻二 一六四

大伯皇女(おおくのひめみこ 大来皇女) 天武天皇の皇女 大津皇子(おおつのみこ)の姉。 斎王として伊勢に赴任。

 

この日の伊勢市の気温は38℃(14時)。カメラの温度上昇の警告が出るほどでした。

ここ五年ほどの各地の夏の暑さは尋常ではなく 祇園祭など夏の祭事はこのまま続けられるのかなと思います。 

祇園祭 神幸祭~神輿渡御~

 祇園祭の前祭(さきまつり)の神幸祭(しんこうさい おいで)は 先立つ宵山、山鉾巡行に続いて行われます。

(訪問 2026年7月17日)

山鉾巡行は9時に始まり12時ごろまで。 昼過ぎには気温38℃の猛暑でした。

神幸祭の神輿渡御の始まる18時頃には日も傾いてそれでも35℃。 

八坂神社の神様を乗せた神輿が町内をめぐり御旅所まで向かいます。

 

八坂神社境内

神事の後、神輿が出発します。

八坂神社 階段下 左から

 東御座神輿ひがしござみこし(四若神輿)

  素戔嗚尊の本妻である櫛稲田姫命(くしなだひめ)を載せる神輿。

  屋根は四角形で擬宝珠が飾られ、胴の袈裟懸けは朱色(赤)

 中御座神輿(三若神輿)

  八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)を載せる神輿。

  屋根は六角形で鳳凰が飾られ、胴の袈裟懸けは紫色

 西御座神輿(錦神輿)

  素戔嗚尊の8人の子供(八柱御子神)を載せる神輿。

  屋根は八角形で鳳凰が飾られ、胴の袈裟懸けは朱色

写真には写っていませんが

 東若御座神輿(ひがしわかござみこし)

  東御座神輿の子供神輿。

ここから分かれて各町内を巡ります。

山鉾巡行で大役を果たしたお稚児さんが先導

 

西御座神輿

 

左 西御座神輿(錦神輿)   右 中御座神輿(三若神輿)

 

西御座神輿(錦神輿)

 

西御座神輿(錦神輿)は花見小路へ

 

このあと東御座神輿に従って三条方面へ、町内巡りを楽しみました。

 祇園会や錦の上に京の月 

  ・・正岡子規

東御座神輿(四若神輿)

この後22時ごろまでに四条通の御旅所へ到着 後祭(あとまつり)24日の還幸祭(かんこうさい おかえり)まで滞在します。

 

祇園祭

 八坂神社の祭礼。平安時代前期貞観11年(869)、各地で蔓延した疫病を鎮めようと行われた儀礼「御霊会(ごりょうえ)」が、祇園祭の起源とされています。

 儀礼では当時の国の数を表す66本の矛を立て、悪霊を矛に移すことで町のケガレを祓い(山鉾巡行)、神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王(ごずてんのう)を祀り御霊会を執り行いました。この869年(貞観11年)の御霊会が祇園祭の起源とされています。

牛頭天王:神仏習合の神 明治の神仏分離により素戔嗚尊をご神体にしました。

 

御旅所に神様の遷る日数

一週間: 八坂神社 祇園祭(京都市 7月)

日帰り: 春日大社 春日若宮おん祭(奈良市 12月)  

一泊二日: 大國魂神社 くらやみ祭(東京府中市 5月)

三週間: 松尾大社 松尾祭(京都市西京区 4月) 

 

巨勢寺跡 ~つらつら椿つらつらに~

 橿原神宮前駅から吉野行の近鉄に乗ると途中の吉野口駅でJR和歌山線に接続します。

その合流する手前の線路に挟まれた地点(現御所市古瀬)に巨勢寺跡があります。

(訪問 2020年7月12日)

 巨勢寺(こせでら)は豪族の巨勢氏によって建てられた規模の大きな寺だといわれています。今は塔心礎と基壇跡を残すのみです。

 ・・・白鳳期に創建、平安時代に焼失、法隆寺式の伽藍配置、寺域は南北50メートル、東西100メートル程度(1987年発掘調査 国指定史跡)

小さなお堂と心礎

 

心礎 径1.3m

 

近くの巨勢寺の一坊であった阿吽寺(あうんじ)の境内に石碑があります。犬養孝書

 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思はな巨勢の春野を

坂門人足(さかとのひとたり)・・万葉集 巻一 五十四

 

 川の上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は

春日蔵首老(かすがのくらのおびとおゆ)・・万葉集 巻一 五十六

 

巨勢寺塔跡を挟む 近鉄電車とJR電車

 

巨勢寺塔跡から北へ1kmほどのところに安楽寺があります。

安楽寺大日堂 (鎌倉 重文) 

江戸時代に 破損の著しい二層 三層 相輪を下ろした後の初層のみが残っています。

円成寺の浄土式庭園  

 近鉄奈良からバスで30分、柳生と奈良の中ほどに円成寺(えんじょうじ)はあります。

25年前紅葉の時期に訪れていますが 今回緑の季節に参拝しました。

(訪問 2026年7月8日)

 名勝の円成寺庭園は浄土式系の中島のある池泉を持つ庭園ですが、周囲にはさつきなどが茂り、全体の様子を見渡せなくなっていました。

庭園から見た楼門

 

中島

 

楼門(室町 重文) 多宝塔(昭和 再建)

 

楼門の木組み

 

春日堂 白山堂 (国宝 鎌倉時代)

元は春日大社の式年造替の折の旧社殿の寄進を受けたもの。

最も古い春日大社造り。また屋外にある最も小さな国宝(高さ2m程)

 

捩花(ねじばな ねじりばな もじずり)   萩の咲きはじめ

下の写真 2001年11月24日訪問 (スライドから複写)

 

忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)

天平勝宝8年(756)聖武・孝謙天皇の発願と伝わるが 実際は1026年の頃。応仁の乱で焼失後再建。

 奈良公園から柳生への柳生街道をたどるハイキングコース(滝坂の道 約11km)があります。円成寺はその中ほどにあります。

岩船寺の紫陽花

 京都南山城当尾(とうの)の里の岩船寺(がんせんじ)。

梅雨空の下、紫陽花が境内を彩ります。 

・・お寺に着いたころに雨が上がりました。

(訪問 2026年6月28日)

 

 

紫陽花やそらに覚ぬはなの雨

・・志太野玻(しだ のは 江戸時代の俳人)

 

  

         

        三重塔(室町 重文 2003年に大修理で色も塗りなおした)

 

 

隅鬼 垂木を支える木彫       参道の無人販売所

 

下記は修復前の1978年4月9日撮影(スライドから複写)

朱色は抜け落ちて木の素地の色となり、今の印象とは違っていました。

 

岩船寺

天平元年(729)聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが始まりと伝わる。

最盛期には39の坊舎を有したが 承久の乱(1221)での焼失名などにより衰退、家康 秀忠の寄進により修復。

播州沙羅の寺 應聖寺

 兵庫県姫路市の北 福崎町にある應聖寺(おうしょうじ)は 沙羅の寺と呼ばれいます。~関西花の寺第8番~

(訪問 2026年6月24日)

      

 

いにしへも今のうつつも悲しくて沙羅双樹の花散りにけるかも

・・斎藤茂吉 歌集「ともしび」 境内の詩碑より

 

 先日(6月12日ブログ)の京都の東林院で見た沙羅の花はいかにも寺院の中という風情でしたが、ここの花は緑の中にこっそりだけれど、しっかりと咲いている花でした。



庭園

友菅(ゆうすげ)             丘虎の尾(おかとらのお)

 都忘れ(みやこわすれ)          金糸梅(きいしばい)

八重咲きのくちなし             籔名荷(やぶみょうが)

 



寺の1キロほど手前に あじさいの小道がありました。

 

 應聖寺

 白雉年間(はくち 650頃)法道仙人*により開祖。

*天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したと伝わる伝説上の渡来僧。

「空鉢(くはつ)仙人」とも呼ばれ、兵庫県内の播磨地方を中心に110以上もの寺院を開山したとされています。

・・播但線福崎駅からのバスは本数が少ない。 

(往路 タクシー利用 復路 徒歩約4km)

 

・・ 本来の沙羅の木(沙羅双樹)はインド原産の高木。

日本の気候では育ちにくいため、似た雰囲気の夏椿が代用された

その結果、日本では夏椿が「沙羅の木」「沙羅」と呼ばれるようになった。

修学院離宮  歴史ある京都の山荘の初夏

 京都市北東の修学院離宮は後水尾上皇によって造営、万治2年(1659)ごろ完成した山荘です。 宮内庁の管理下 一般に公開されています。

今回 離宮内にある田植えの時期を見て訪れました。

(訪問 2026年6月21日)

 離宮は上・中・下の三つの離宮から成り、借景となる山林、離宮をつなぐ松並木と両側に広がる田畑とで構成されています。上、下は当初からの離宮。中は隣接の林丘寺(上皇の皇女の山荘)が明治に返還され離宮に編入されました。

 

下離宮

 


上離宮

下離宮と上離宮は高低差が40mほどあり 上離宮からは市内が一望できます。

 

 

中離宮

 


修学院離宮 
 京都御所 京都大宮御所 仙洞御所 桂離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理しています。いずれも公開しています(ネット予約+一部当日受付)

京都三条 TIME’S見学 (安藤忠雄設計 建築ツーリズムガイドツアー)

 京都市三条通の高瀬川の脇に安藤忠雄設計の建物「TIME’S」があります。

今回 建築ツーリズムセンター主催のガイドツアーに参加しました。

(訪問 2026年6月21日)

 竣工は1984年のTIME’SⅠ 南側へ続く1991年のTIME’SⅡ。

安藤さんの初期の建物です。TIME’SⅡは安藤さんが直々に所有者に働きかけて実現したとのこと。

 

オモテ(北)の三条通からウラ(南)へと抜ける“路地”が誕生。

(ただし 三条通面した店の入り口はありません)

 

 ”川”の水面スレスレまで降りるテラス、あえて設けられていない柵。 

 内部は折れ曲がる通路、突然現れる吹き抜け、上下に移動する階段、  

 上がったり下がったりの立体的な“路地”

 コンクリートでできた迷路のような”町屋”

 安藤建築と言えばコンクリートの打ちっぱなし。

 ・・この建物はコンクリートブロックを併用しています。

 (三条通の「いつになるかわからない」再開発地域に指定されており建築上の制限があるとのこと)

 

 テナントは10室に対して現在2つ。

安藤さんの個性=使いづらさ??に呼応できる店なら良いが・・・

テナントとして入るには一寸躊躇するかなとの印象です。