鴨川から高瀬川へ周辺を歩きました。
(訪問 2026年9月13日)
ガイドは京都産業大学の鈴木康久さん 京都の水文化の研究者です。
出発は出町柳の鴨川の飛び石から⇒


飛び石の設置は1992年、当時は景観を損ねるとの反対の声もあったとのこと。
⇒出町妙音堂を見て
⇒梨木神社の御神水 染井の水

⇒蘆山寺の裏(東側)の雲井の水(今は枯れています)とお土居

お土居(秀吉 1591年 写真の2倍ほどの高さがあった)の向こう側(東側)は当時は鴨川の河原が広がっていました。(今は河原町通)
⇒鴨川河原へ
⇒山紫水明処 江戸時代の儒学者・詩人・歴史家 頼山陽(1781-1932)の住居跡があります。


山紫水明処からの鴨川。川の流れは改修により遠く低くなっています。
対岸は岡崎公園からの琵琶湖疏水の増水時の排出口

琵琶湖疏水の本流は排出口の向こう側で右側(南側)へ直角に曲がって鴨川添いを流れていきます(京阪線の地下化に伴い今は川端通下の暗渠となっています)
鴨川の堰にある魚道 (木製で毎年「京の川の恵みを活かす会」が設置)

1935年の大洪水後の河川改修時に、川の流れを緩くするため堰が各所に設けられました。しかしこれが鮎の遡上を妨げることとなり、一部堰の撤去や魚道を作っての対策が行われています。(50km先!!の大阪湾から鮎が遡上)
⇒みささぎ川
洪水対策などによる鴨川の水面低下を補い、高瀬川への水流を確保のために掘削
納涼床の下への水流の確保も担います(最終の改修は明治)

一部暗渠となっています。
⇒高瀬川への取り込み口(二条大橋下流付近)

左の垣根の間が取り込み口で第二無鄰菴へ続きます。
手前はさらに納涼床へと流れます。


⇒第二無鄰菴へ
第2無鄰菴=高瀬川源流庭園
元角倉了以の別邸跡 山県有朋の別荘を経て現がんこ寿司二条苑





庭園側から見た高瀬川取り込み口

⇒高瀬川へ
高瀬川(川幅8m 深さ30cm 長さ10km)
京都の豪商 角倉了以(すみのくらりょうい 1554-1614)が
保津川の開削工事(1608)に続き、子の素庵とともに高瀬川=人口運河を開削(1611)。伏見からの船による物資運搬が飛躍的に改善されました。
開削に私費を投じましたが、通行料収入ですぐに元を取ったと言われています。
(1920年まで水運として使われました)

第二無鄰菴から道路下を通り、高瀬川となります。
付近は角倉了以の広大な屋敷でした。

高瀬舟は復元 三代目
⇒高瀬川一之船入 運んだ荷を下ろす場所です。
9カ所ほどあったのが今はここのみ残ります。


船入は河原町通りまで続いていました。

この先 ブログで紹介(2026.6.21)の三条のTIME’Sの横を通って南下します。
かつては十条付近で一旦鴨川を西から東へ横切り 鴨川の東を南下して宇治川へ繋がりました。(鴨川から今は繫がっていませんが東側は東高瀬川として残っています。)
蒸暑い日の2時間半でしたが見どころが多く、鴨川に関する知見が大きく広がりました。






















































































































































































































































